釜石市にボランティアバスが行く!レポート その4

 

≪視察≫

 翌16日(日)は、ちょっと早起きして、東京荒川少年少女合唱隊の創立者の故渡辺顕麿氏の奥様である舞津様が住職を務める宝樹寺を訪問しました。前夜、そして今朝もボランティアバスでいらした方々が訪問して下さった、とうれしそうにおっしゃっていました。

 ホテルと宝樹寺の間の道は、被災した家屋と更地が続いていました。宝樹寺はこの石段の下まで津波が押し寄せてきた、とのことでした。

  

 

 

 

 先発隊は別のホテルに泊まりましたが、そちらに同宿したボラバスメンバーも、早朝から港方面を回ったようです。

  

 この日は、釜石市の山田防災課長さんの案内で、釜石、両石、鵜住居、大槌などを視察しました。目の前の荒涼とした街の跡に、昨日の両石地区のDVDの津波の映像や声が重なり、思わず涙してしまいました。大槌町は津波に襲われた後、火災が発生し、焼け焦げた跡を残した建物がたくさんありました。

 

 

 ところどころに大きなガレキの山ができていました。様々なものが混じり、発火の危険があるとのことでした。

 「釜石東中学校の生徒が鵜住居小学校の児童の手を引き、山を駆け登り、一人の犠牲者も出さなかったことは“釜石の奇跡”とも言われていますが、彼らが駆け登ってきたのはここです。」と釜石山田道路を走りながら指差してくれました。標高50mほどの”恋の峠”というところですが、おそらく道など無い山肌をよくここまで逃げてきたものだと思いました。

 釜石港には巨大な貨物船『アジアシンフォニー』がまだ乗り上げていました。10月中には撤去されるとのお話。港の地盤は地震により120cmも沈み、岸壁上部まで海面が近づいていました。沖には、世界最大と言われた防潮堤が無残に打ち壊され、いくつかの塊になっていました。警察署は遠目では無傷のようですが、内部は荒れ果て、他の場所に機能を移しているとのこと。

 ホテルに戻ると、「釜石まつり」の山車と神輿の巡行中でした。たくさんの街で祭礼が中止されている中、開催するかしないか議論されたそうですが、復興のきっかけとして完全ではないけれど開催することにしたそうです。

 1階部分が柱だけとなった家々と更地の中を長い巡行の列が進みます。鎮魂の静けさと復興の力強さを同時に感じる祭礼の列を、たくさんの住民の方々とともに見送りました。

 

 

 足元には、津波で崩れた「このまち、そして未来へ」の歌碑が横たわっていました。